ページタイトル:武道ヶ崎のカヤ ロゴ:人里の巨木たち

画像:武道ヶ崎のカヤ 名称 武道ヶ崎のカヤ (ぶどうがさきのかや)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 カヤ
樹高 22m(注2)
目通り幹囲 5.1m(注2)
推定樹齢 700年(注3)
所在地の地名 宮城県登米市米山町善王寺(武道ヶ崎)(注4)
 〃 3次メッシュコード 5741−71−59
 〃 緯度・経度 北緯38度37分56.8秒
           東経141度14分25.3秒
登米市指定天然記念物(2002年5月1日指定)
撮影年月日 2016年5月14日

注1)旧米山町教育委員会が設置(設置年月不詳)。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注3)東部地方振興事務所登米地域事務所林業振興部のサイト「登米市内の巨樹古木」による
注4)2005年4月1日、9つの町が合併して登米市誕生。旧行政区は登米郡米山町





 米山東小学校の北東約2.4km。衣川家の裏手に立つカヤ。
 樹名の武道ヶ崎は地名なのだが、この地名は道路地図等に載っているわけでなく、地元の方もあまりご存知ないようなので、むしろ衣川さんを目標に訪ねるのがよいと思う。カヤの所有者は農家レストラン「ころも川」(完全予約制)を営んでおられる。(レストランへの取り付け道路の入口に「武道ヶ崎のカヤ」の案内表示が出ていた)
 実は、私も探しあぐねて、地元の方から近くまで案内していただいたのだった。もちろん、農家レストランを営んでおられることも知らなかった。
 先方にして見れば、見知らぬ無礼な男が突然やって来て、客でもないのに図々しくカヤを見せてくれなどと言っている、ということになるわけだが、ご主人も奥様もとても気さくな方で、いやな顔一つせず、二つ返事で了解して下さった。改めてご親切に感謝したい。
 標柱に書かれた説明によると、この衣川さんのご先祖は、奥州藤原氏の家臣だったらしい。藤原氏が源頼朝に滅ぼされたため、衣川村(現在の岩手県奥州市衣川区)から落ちて来たのだという。
 その何代目かが植えたカヤがここまで大きくなった。
 損傷部が殆ど見当たらない、元気いっぱいのカヤである。樹齢も比較的若いのかも知れない。
 雌株のカヤで、今も毎年たくさんの実をつけるそうである。
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