ページタイトル:大智寺の大ヒノキ 当サイトのシンボル

画像:大智寺の大ヒノキ_1


画像:大智寺中門
 大智寺中門(その先にヒノキが見える)


画像:大智寺の大ヒノキ_2
名称 大智寺の大ヒノキ (だいちじのおおひのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ヒノキ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 6.6m(注2)
推定樹齢 700年(注3)
所在地の地名 岐阜県岐阜市山県北野
 〃 3次メッシュコード 5336−26−07
 〃 緯度・経度 北緯35度30分34.3秒
           東経136度50分28.3秒
岐阜県指定天然記念物(1968年8月6日指定)
撮影年月日 2011年6月5日

注1)1985年12月に岐阜県教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による
注3)上記案内板による





 関市(旧武芸川町)との市境近く、低い山を背景に、臨済宗妙心寺派雲黄山大智寺がある。
 明応9年(1500)、北野城主鷲見美作守保重が荒廃していた天台宗寺院を臨済宗に改め、菩提寺として再建したのが始まり。開山は玉浦宗眠和尚。(大智寺ホームページより)
 4世天心智寛の時代、のち蕉門の俳人として有名になった各務支考(かがみしこう)が、6歳から19歳までを弟子としてここで過ごした。大智寺で培われた教養が俳句の世界に反映されたわけだ。
 46歳になって、支考は郷里の美濃国に帰り、寺に隣接する小庵に住んだ。小庵の名は獅子庵。獅子庵跡は岐阜県指定史跡となった。「牛叱る声に鴫(しぎ)立つ夕(ゆうべ)かな」の句碑が立つ。
 支考の活躍は18世紀だから、当然、このヒノキのこともよく知っていたはずだ。ヒノキの句はないのだろうか。
 さて、その大ヒノキだが、山門をくぐり、次の中門の先に立っている。
 下から見て表皮が左回りに捩れているが、これは古い時代の落雷によって幹に裂け目ができ、発育が均一でなくなったためという。また、昭和の頃には直立していたというが、現在はやや傾いて立っている。根の力が弱ってきたのだろうか。
 左下写真のように、幹には樹皮が無くなっているところがある。詳細に観察すると、当然ながら、その部分から突き出た枝も全て枯れているようだ。枯枝は、枝全体のうち、かなりの数に及ぶ。現在の樹形は枯枝を含めて成立しているので、これらが欠けると、見た目がかなり寂しくなってしまうのは必至だろう。
 岐阜県内はもとより、全国的にも代表的な大ヒノキである。無理な話かも知れないが、少しでもこの姿を長く保って欲しいものだ。
 
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