ページタイトル:福山のイチョウ 当サイトのシンボル

画像:福山のイチョウ(向かって右の個体)

画像:福山のイチョウ(手前が向かって左の個体)
名称 福山のイチョウ (ふくやまのいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 39m/38m(注2)
目通り幹囲 7.7m/7.6m(注2)
推定樹齢 伝承1000年(注2)
所在地の地名 鹿児島県霧島市福山町福山(注3)
 〃 3次メッシュコード 4730−46−05
 〃 緯度・経度 北緯31度40分16.1秒
           東経130度49分09.5秒(注4)
鹿児島県指定天然記念物(1964年6月6日指定)
撮影年月日 2009年7月26日

注1)2009年3月に霧島市教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による。それぞれ前者が向かって左、後者が向かって右の個体データだと思われる
注3)2005年11月7日、1市6町が合併して霧島市誕生。旧行政区は姶良郡福山町
注4)これは向かって左のイチョウの位置





 旧福山町役場の南500mほどのところで、鹿児島湾(錦江湾)の東縁に沿って走る国道220号に、牧之原から山越えして下ってきた県道478号がぶつかる。県天然記念物の大イチョウが立つ宮浦宮(みやのうらぐう)は、その北東角近く。
 祭神は神武天皇。一対のイチョウは、神武天皇東征の際、ここから船出したことを記念して植えられたと伝えられている。
 訪ねたとき、ちょうど神殿の建築中だった。そのため、イチョウから先は立入禁止。イチョウそのものも、柵で遮られ、手で触れることは出来ない。
 夫婦イチョウと呼ばれることもあるが、樹高、幹囲とも、2本はほぼ同サイズ。甲乙つけ難い。
 向かって右の個体には寛政3年(1791)大火の傷跡が残り、左の個体には明治10年(1877)の西南戦争で官軍が放った砲弾の痕が見えるそうだ(未確認)。
 新しい本殿は、高さ1間(約2m)ほどの高床式で、ほぼ概形ができあがっていた。
 私も奉賛の気持を込めて、賽銭を納めさせてもらった。 
 
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