ページタイトル:ガラシャの里のイヌシデ ロゴ:人里の巨木たち

画像:ガラシャの里のイヌシデ 名称 ガラシャの里のイヌシデ
    (がらしゃのさとのいぬしで)
名称の典拠 なし
樹種 イヌシデ
樹高 17m(注1)
目通り幹囲 3.4m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 京都府京丹後市弥栄町須川(味土野)(注2)
 〃 3次メッシュコード 5335−31−72
 〃 緯度・経度 北緯35度39分00.9秒
           東経135度09分19.8秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2016年4月5日

注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による。(環境省資料にはアカシデとあるが、イヌシデではないだろうか)
注2)2004年4月1日、3郡にまたがる6つの町が合併して京丹後市誕生。旧行政区は竹野郡弥栄町





 標題の「ガラシャ」は、明智光秀の三女玉(たま。珠と記すことも)のこと。細川忠興の正室となってのち、(夫の反対にも拘わらず)キリシタンとなった。ガラシャはその洗礼名。
 「ガラシャの里」は、明智光秀による「本能寺の変」の際、岳父からの同調依頼を断った忠興が玉を幽閉した場所である。だから、住んでおられる方への失礼を顧みずに表現すれば、「ガラシャの里」の名前から想像するような華やかさとは対極にある、山深くに潜む隠れ里のような場所である。
 交通網の発達した今も事情はたいして変わらず、京都方面から訪ねるには、ぐるっと大回りして、北方の霰(あられ)から宇川(うがわ)の谷を遡る以外にない。
 玉が幽閉された屋敷跡は、ここでは「女城」と呼ばれているようだ。女城はごく狭く、現代人が住む普通の家と比べても、むしろ狭かったのではなかろうか。
 父と夫の決定的な対立を経て、玉は、ここで2年間を過ごした。気持ちは沈みがちであっただろうと思う。案内板には、「身をかくす里は吉野の奥ながら花なき峰に呼子鳥(よぶこどり)啼く」の歌が記されていた。
 イヌシデは向かって左奥。近年になって再建された観音像の近くに立っている。
 残念ながら、玉の時代には、まだ存在していなかった可能性が大きいように思われる。
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