ページタイトル:弘経寺の来迎杉 当サイトのシンボル

画像:弘経寺の来迎杉(幹と並ぶ)



画像:弘経寺の来迎杉
名称 弘経寺の来迎杉 (ぐぎょうじのらいごうすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 34m(注2)
目通り幹囲 7.2m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 茨城県常総市豊岡町(注3)
 〃 3次メッシュコード 5439−07−48
 〃 緯度・経度 北緯36度02分37.2秒
           東経139度58分34.4秒
常総市指定天然記念物(1981年12月10日指定)
撮影年月日 2010年2月11日

注1)水海道市教育委員会が設置(設置年月不詳)。なお、案内板には「弘経寺のスギ〈来迎杉〉」とあったのだが、私のサイトでは上記のように呼ばせていただく
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による
注3)2006年1月1日、石下町と合併して常総市に。旧行政区は水海道市(みつかいどうし)





 鬼怒川右岸の飯沼集落に、寿亀山天樹院弘経寺という浄土宗のお寺がある。
 平凡社「茨城県の地名」によれば、室町時代の応永21年(1414)、聖冏(しょうげい)の孫弟子にあたる聡蓮社嘆誉良肇(りょうちょう)が現在地に開山(良肇の文字は「茨城県の地名」や浄土宗寺院紹介ページによる。案内板では了肇となっている)。開基は横曽根城主羽生彦八郎経貞。天正(1573〜92)の頃には千人余の僧がいたとの話もあるようだ。その後、兵火にかかって伽藍を失い、無住となった時期もあるが、江戸時代初期、照誉了学によって再興された。
 浄土教学の上でも重要な役割を担い、関東18檀林寺の一つとして江戸時代を通して栄えた。明治元年(1868)の「各村旧高簿」によれば、弘経寺領となっていた飯沼村に約108石、そのほか羽生村内に100石を有していたというから、かなりの大寺であった。
 しかし、弘経寺を有名にしているのは、大寺ぶりよりはむしろ、ここが千姫縁(ゆかり)の寺だからである。(寺の名の天樹院は落飾後の千姫の院号でもある)
 ご存じのように、千姫は徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼に嫁いだ。母方の祖母市(いち)の美貌を受け継ぎ、父方の祖父家康からも愛されていたようだ。その千姫の菩提寺が弘経寺である。(本堂左手の廟所に千姫の遺骨(分骨)が納められている)
 平成12年(2000)からは、4月第2日曜日に、総勢150名を超す千姫行列など、市をあげて千姫まつりが行われている。弘経寺と千姫の縁については、市民のよく知るところなのだ。
 来迎杉の説明が遅くなってしまった。
 来迎杉は、本堂に向かって右手前、参道脇に立っている。
 明治19年(1886)に描かれた銅版画でも、1本だけ別格扱いで描かれている。神社ではないから神木というわけではないが、人々にとって、特別な意味をもつスギだったのだろう。
 浄土経の教えでは、阿弥陀如来を信じていれば、この世を去る際に、紫雲に乗った阿弥陀如来が迎えに来て(来迎して)、西方極楽浄土に連れて行ってくれる。
 来迎の事実は、信者にとって信仰の根幹でもあり、また最もセンセーショナルな出来事でもあるはずだ。
 その名をいただいた大杉である。スギそのものも信仰の対象であったことだろうと思われる。
 
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