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画像:飛騨国分寺の大イチョウ

画像:飛騨国分寺の大イチョウ(幹と並ぶ)

画像:飛騨国分寺の大イチョウ
名称 飛騨国分寺の大イチョウ
   (ひだこくぶんじのおおいちょう)
名称の典拠 「日本の天然記念物」(注1)
樹種 イチョウ
樹高 37m(注2)
目通り幹囲 10.0m(注2)
推定樹齢 伝承1200年(注2)
所在地の地名 岐阜県高山市総和町
 
〃 3次メッシュコード 5437−12−60
 
〃 緯度・経度 北緯36度08分35.9秒
           東経137度15分14.0秒
国指定天然記念物(1953年3月31日指定)
撮影年月日 2003年7月28日

注1)1995年に講談社から刊行。現地の案内板(設置者及び設置年月不詳)も同じ名称を掲げてあった
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による





 飛騨国分寺(注3)は、天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺の一つ。境内からは創建当時の巨大な七重塔の心礎石が発見された。天平の昔から今の場所にあった古刹なのである。本堂(薬師堂)前の大イチョウは、開基の行基菩薩が自ら植えたとする伝承があり、それが樹齢1200年の根拠とされている。
 実はこの大イチョウには、もう一つの悲しい話が伝わっている。
 天平の七重の大塔創建の際、大工の棟梁が誤って柱を短く切ってしまった。悲嘆にくれていたところを娘八重菊が枡組で補うアイディアを出し、おかげで塔は無事に完成した。塔の名声が高まるにつれ、棟梁は自身が犯した過失の秘密を守る必要を感じ、娘を殺して境内に埋めた。そしてその傍らに植えたイチョウが、薄命の娘に代わって長寿を保っているというのである。(国分寺拝観の際にいただいたパンフレットより)
 鎌倉時代以前にはイチョウはまだ日本に渡来していなかったとする説が有力なようなので、多く見積もっても、樹齢は700年以下ということになるが、はるか天平時代を思わせるほどの堂々たる巨樹であることは間違いない。
 孝行娘が化身した(?)大イチョウだが、雄株である。(注4)

注3)飛騨国分寺のホームページには大イチョウの情報がたくさん載っている
注4)講談社「日本の天然記念物」によれば、雄株だが、極小のギンナンをつけるらしい
 
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