ページタイトル:国分寺跡のイチョウ 当サイトのシンボル

画像:国分寺跡のイチョウ 名称 国分寺跡のイチョウ (こくぶんじあとのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 8.0m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 宮崎県西都市三宅字国分
 〃 3次メッシュコード 4831−13−11
 〃 緯度・経度 北緯32度06分07.6秒
           東経131度23分48.4秒
天然記念物指定 なし(注2)
撮影年月日 2012年8月1日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)イチョウについての天然記念物指定はないが、イチョウが立つ場所は、県指定史跡「日向国分寺跡」(1934年4月17日指定)内である





 西都(さいと)は、ここに日向国府があったことに因む市名であろう。三宅(みやけ)の大字名も、朝廷の直轄領屯倉(みやけ)を想像させる。
 聖武天皇(在位724〜49)の国分寺・国分尼寺建立の詔により、当然日向国にも国分寺が建てられた。それがこの場所である。平成7年(1995)からの発掘作業で、金堂や中門、回廊の跡と思われる遺跡が見つかっている。
 日向国分寺に限ったことではないが、その後、荘園制度の拡大と反比例するように、国分寺は衰退する。(私の住む新潟県の越後国分寺も然り)
 その跡地にこの大イチョウが立っている。株立ちのイチョウだ。
 最大幹の一部に、細い窓のような裂け目が見える。
 天明8年(1788)、全国遍歴の途次、当地を訪れた木喰上人が国分寺を復興。同時に五智如来像5体を刻んだ。(五智如来像は、自由に拝観できる)
 当地を去る際、木喰は生木のイチョウを彫って龕(がん。仏像を納めるために設けたくぼみ)を作った。そして、「この樹生い育ち、樹皮が龕を包み込んだ時、我、再び世に現れん」と言い置いたとか。(案内板より)
 幹の裂け目は、その痕である。
 もうじき塞がりそうになってきたようだが、肝心の幹が途中で失われてしまった。木喰上人が再来することは無理かも知れない。
 
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