ページタイトル:諫早公園の大クス ロゴ:人里の巨木たち

画像:諫早公園の大クス

画像:眼鏡橋
 公園の一角にある眼鏡橋(国重文)
名称 諫早公園の大クス (いさはやこうえんのおおくす)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 35m(注1)
目通り幹囲 11.8m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 長崎県諫早市高城町(たかしろまち)
 〃 3次メッシュコード 4930−20−14
 〃 緯度・経度 北緯32度50分42.5秒
           東経130度02分52.0秒
国指定天然記念物(1951年6月9日、「諫早市城山暖地性樹叢」の名称で、周囲約1kmの丘陵一帯の樹林全体を指定)
撮影年月日 2015年3月25日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による





 諫早市役所から西北西に約600m。麓との標高差40mほどの小さな独立峰がある。
 かつて、ここに諫早城があった。戦国時代の伊佐早(いさはや)地方の覇者、西郷尚善(さいごうひさよし)が築いた城で、高城(たかしろ)と呼ばれた。
 しかし、天正15年(1587)、豊臣秀吉の命に従わなかった4代目西郷信尚(さいごうのぶひさ)が龍造寺家晴(りゅうぞうじいえはる。この後、諫早家初代となる)に攻められ、城を追われた。以後、諫早氏の居城となるが、徳川幕府の一国一城令により廃城。この山にはそんな歴史がある。(案内板より)
 別の案内板によれば、桜馬場まで攻め込んだ龍造寺家晴が「高城の上に四方に高矢倉有りて、数多の矢狭間これあり。麓より上に至りて植木一本もこれなく、見すかしたる城なり」と述べたとか。(城を守る側からは弓矢を射にくい上に、敵に隠れ場所を与えてしまうため?)木が生い茂る山城は守りにくく、攻めやすいとされていたようだ。それで、城山には木が1本も無かったというのである。
 それが事実なら、このクスノキを含む天然記念物の樹木たちは、1587年にはまだ何もなかったということになる。これほど出発時点のはっきりしている森はないのでなかろうか。
 大クスは立ち上がって間もなく3幹に分かれている。2株のクスが合体したようにも見える。樹齢が400年程度だとしても、不思議ではなさそうだ。
 クスノキが立つのは、城山最上段の南東部。
 クスノキのところから、諫早市街がよく見える。
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