ページタイトル(自性寺のスダジイ) サイトのシンボル

画像:自性寺のスダジイ(幹と並ぶ)
スダジイは勤王七士墓の前に立つ

画像:自性寺のカヤ(幹と並ぶ)
本堂前のカヤ(目通り4.3m)
名称 自性寺のスダジイ (じしょうじのすだじい)
名称の典拠 なし
樹種 スダジイ
樹高 27m(注1)
目通り幹囲 5.1m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 茨城県行方市内宿(うちじゅく)(注2)
 
〃 3次メッシュコード 5440−14−20
 
〃 緯度・経度 北緯36度06分12秒
           東経140度29分56秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2006年2月25日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版T」による
注2)2005年9月2日、行方郡内の3町が合併して行方市となる。旧行政区は行方郡北浦町





 県道184号(島並鉾田線)両宿トンネルの東に、臨済宗本源山自性寺がある。寺伝によれば、領主皆川秀隆が寛文10年(1670)に創建、その子広隆が、次木村(なみきむら=現行方市次木)にあった正安寺をここに移して、自性寺と号したという(平凡社「茨城県の地名」を要約)。
 一時期、寺運が衰えたこともあったようだが、その後、持ち直した。樹林に覆われた広大な境内も、禅刹の厳かな雰囲気を醸している。
 本堂からずいぶん離れて、自動車用参道の入口付近に「勤王七士之墓」がある。
 幕末の動乱期に、倒幕の動きに加わったとして処刑された林政義、中村則傚ら、22〜35歳の7名の墓である。
 水戸藩の内紛にも関わる複雑な事件であり、全容は簡単に述べかねる(墓地の入口に詳細を記したパンフレットが置かれていた)。逆賊として、江戸伝馬町で処刑され、七士の家名も断絶するが、のち新政府の大赦により名誉回復がなされ、亡骸は郷里のこの地に改葬された。
 スダジイはその墓地の端に立っている。
 なお、本堂前に立つカヤもなかなかのもので、こちらは1973年に北浦町天然記念物に指定された。
 
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