ページタイトル:蚶満寺のタブノキ 当サイトのシンボルマーク

画像:蚶満寺のタブノキ


画像:蚶満寺の看板猫?
 蚶満寺の看板猫?
名称 蚶満寺のタブノキ (かんまんじのたぶのき)
名称の典拠 「秋田の巨樹・古木」(注1)
樹種 タブノキ
樹高 18m(注2)
目通り幹囲 4.7m(注2)
推定樹齢 1000年(注2)
所在地の地名 秋田県にかほ市象潟町字象潟島(注3)
 〃 3次メッシュコード 5839−67−52
 〃 緯度・経度 北緯39度12分55.5秒
           東経139度54分13.0秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2019年5月17日

注1)2008年7月に秋田県緑化推進委員会が刊行
注2)上記「秋田の巨樹・古木」による
注3)2005年10月1日、由利郡内3町が合併して「にかほ市」誕生。旧行政区は由利郡象潟町





 象潟の名刹曹洞宗皇宮山蚶満寺の境内にタブノキ巨木が立つ。(入山料必要)
 幹囲5m未満ではあるが、前川のタブノキとともに北限のタブノキ巨木であることと、なかなかの風格を備えていることから、ここに紹介したい。
 象潟(きさかた)の蚶満寺と言えば、古くから多くの文人墨客の作品に登場することで知られる。
 それらのなかで、多分、一番よく知られているのが芭蕉の「奥の細道」であろう。
 象潟を訪ねた芭蕉は、まず能因(のういん。平安中期の僧・歌人)が3年間幽居したとされる島を訪ねた後、当寺に立ち寄り、「(前略)寺を干満珠寺と云。(中略)此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。(中略)江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」と書き、有名な「象潟や雨に西施がねぶの花」の句を残している。
 私が訪ねた時は晴れ。それに、そもそも今の象潟は文化元年(1804、芭蕉が訪ねた115年後)の大地震で、土地が隆起し、「一夜にして陸地となった」(にかほ市が設置した案内板による)わけで、海は水田に変わり、かつての島々は点在する小山となった。もう水面に映る鳥海山を見ることも出来ない。そんなわけで、芭蕉の感慨を想像するのは難しい。
 余談だが、蚶満寺の寺号について。
 昔、「きさかた」は「蚶方」と書いたらしい。もともと蚶方寺(きさかたでら)だったものが、「方」の字が「万」に転じ、「かんまん」と読むようになったのではないかと、司馬遼太郎が考察しているそうである。(Wikipediaより)
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