ページタイトル:高野山奥の院参道の大杉 ロゴ:人里の巨木たち

画像:高野山奥の院参道の大杉_1


画像:高野山奥の院参道の大杉_2
名称 高野山奥の院参道の大杉
    (こうやさんおくのいんさんどうのおおすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 40mほか(注1)
目通り幹囲 8.0mほか(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 和歌山県伊都郡高野町高野山
 〃 3次メッシュコード 5135−24−58(注2)
 〃 緯度・経度 北緯34度13分02秒
           東経135度35分56秒(注2)
和歌山県指定天然記念物(1958年4月1日、「奥の院の大杉林」の名称で樹林全体を指定))
撮影年月日 2014年3月26日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による
注2)広い範囲に大杉が散在する。これは左下図のスギの位置を示している





 高野山は、弘仁7年(816)、真言宗の開祖空海が朝廷より賜った聖地の名。(山地であることは間違いないが、ここに高野山という名前の山があるわけではない)
 以来、多くの信仰を集め続け、皇族・大名から無名の庶民に至るまで、競って高野山に墓碑を建立。その数20万基とも言われる。なかには壊れかけているものもあり、正確な数は誰にもわからないのだろう。(織田信長・伊達政宗などの武将や、曾我兄弟、大岡越前守、法然上人や親鸞聖人の供養塔もある。知っている名前を発見しながら歩くのも面白そうだが、一日がかりでも完遂するかどうか)
 天竺を連想させる転軸山(915m)の東麓に、金剛峯寺奥の院があり、その最奥部が弘法大師空海の廟所である(空海は死んだわけでなく、今もそこで瞑想し続けているとされている)。上記の墓碑・供養塔は、その奥の院への参道途中に並ぶ。
 片道2kmほどの参道の入口は「一の橋」である。
 正式な名を「大渡橋」というらしい。たいした大きさの橋ではないのだが、俗世界から浄域への橋渡しをすることは「大」きなことに違いない。伝承では、参詣に来た者をお大師さまがここまで送り迎えして下さるとされている。(案内板より。しかし、バス駐車場の関係から、現在、大半の人は参道のほぼ中央にある「中の橋」から奥の院に向かい、「一の橋」を渡る人は少数派のようだ)
 参道の周囲を、樹齢数百年の大杉が取り囲む。旧環境庁の1988年調査では、幹囲3m以上のものが800本と推定されている。和歌山県内の大杉の殆どがここにあると言ってもいいくらいだ。
 そのうち、上記調査で実測データが載るのは34本(そのなかにはモミも混じる)。上に示した幹囲データは、そのなかから最大の数値を拾ったものである。
 スギたちは、庭園樹のように格好を気にすることもなく、また材木とするため枝打ちされることもない。自然のままに育った感じ。独立木あり、合体木あり、さまざまである。ただし全体が「オモテスギ」のようで、神憑りの荒々しさを感じさせるような個体は見られない。
 初めは大杉を1本1本吟味しながら進んだが、余りに多すぎて記憶しきれない。大杉の森としての全体空間を楽しむことに切り替えた。
 全体としての印象で言えば、単幹のスギでは、太くてもせいぜい6m台ではなかろうか。環境省データで802cmとされたのは融合木のうちのいずれかだと思うのだが、一体どれだったのだろう。
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