ページタイトル:松前の銀杏 当サイトのシンボルマーク

画像:松前の銀杏 名称 松前の銀杏 (まつまえのいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 5.6m(注2)
推定樹齢 430年(注2)
所在地の地名 北海道松前郡松前町松城
 〃 3次メッシュコード 6240−10−18
 〃 緯度・経度 北緯41度25分57.7秒
           東経140度06分25.5秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2019年6月2日

注1)「記念保護樹木」であることを示す案内板(北海道が設置、設置年月不詳)
注2)今田秀樹著「2018 北海道の巨樹・名木150選」による





 松前城(福山城)から北へ300mほどのところに曹洞宗大洞山法幢寺(ほうどうじ)があり、境内の一角が松前家の墓地になっている(「松前藩主松前家墓所」の名称で国指定史跡)。
 第4代藩主氏広(うじひろ)の墓と第5代藩主高広(たかひろ)の墓の間、後方の少し高くなった場所にイチョウが立つ。(Wikipediaではそれぞれ3代、4代としているが、これは下記の公広の父盛広を藩主とするか否かで異論があるため。『松前家記』では藩主としており、墓前の標柱もそちらをとっている)
 平凡社「世界大百科事典第2版」によると、法幢寺の開創は延徳2年(1490)。のちアイヌの襲撃で一時期廃絶したが、天文14年(1545)に蠣崎季広(かきざきすえひろ。初代藩主松前慶広(よしひろ)の父)が再興。以来、松前氏の菩提寺となった。
 今のように墓所が整えられたのは第3代藩主公広(きんひろ)の頃(1617〜41)でないかと考えられているらしい。推定樹齢がその時代より古いということは、墓所よりイチョウの方が先輩と見られているわけだ。
 イチョウは強剪定を受けることもなく伸び伸びと枝を広げている。
 そろそろイチョウ独特のおどろおどろしい姿に変じつつあるようだ。
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