ページタイトル:耳塚古墳のケヤキ サイトのシンボル

画像:耳塚古墳のケヤキ(幹と並ぶ)

画像:耳塚古墳のケヤキ(根元の双体道祖神)
名称 耳塚古墳のケヤキ (みみづかこふんのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 不明(低い)
目通り幹囲 6.3m/6.0m(注1)
推定樹齢 800年(注1)
所在地の地名 長野県松本市寿豊丘(百瀬)
 
〃 3次メッシュコード 5437−27−18
 
〃 緯度・経度 北緯36度11分06.0秒
           東経137度58分21.0秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2009年3月22日

注1)松本市寿公民館、寿地区老人クラブ連合会、寿史談会、氏子総代の4者が連名で設置した案内板による(1993年に設置?)。幹囲データについては、前者が西株(写真では手前)、後者が東株(写真では奥)のもの





 県道288号(新茶屋塩尻線)のすぐ脇に、耳塚古墳があり、2本の大ケヤキが立っている。
 案内板によれば、古墳は、約1500年前の安曇族の王の墓で、50mほど離れた地点からは、弥生式土器も発掘されているという。かつて塚の上部には道祖神を祀る幸神社(「さえの神」(=「さいのかみ」))があったが、明治末期に取り壊されたらしい。(現在、交差点の脇に、新しい双体道祖神石像が安置されている)
 案内板には説明がなかったが、耳塚というからには、ここには王の耳が埋められたのだろうか。「首塚(耳塚?)のいわれは碑面のとおり」とのことだが、なにしろ、次から次へと車が来るものだから、長く車を停めてもおけず、碑面を探すまでには至らなかった。
 2本のケヤキは、いずれも主幹を途中で失っている。西株の方は、写真の反対側では、根元付近に空洞が開き、内部が焦げている。
 しかし、今のところ、両者とも樹勢は悪くなさそうだ。
 これだけ小枝があれば、もうしばらく長生きしてくれそうである。
 
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