ページタイトル:宮代の大カヤ 当サイトのシンボルマーク

画像:宮代の大カヤ 名称 宮代の大カヤ (みやしろのおおかや)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 カヤ
樹高 22m(注2)
目通り幹囲 5.4m(注2)
推定樹齢 400年(注2)
所在地の地名 福島県福島市宮代字北口
 〃 3次メッシュコード 5640−53−69
 〃 緯度・経度 北緯37度48分23.2秒
           東経140度29分22.4秒
福島市指定天然記念物(1972年5月2日指定)
撮影年月日 2020年8月5日

注1)福島市教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)福島県公式ウェブサイト中「ふくしまの巨人たち」による





 豊臣秀吉の正室ねね(高台院。俗名を「おね」「ねい」とする説もあり)の兄が木下家定(きのしたいえさだ)。後の備中足守藩初代藩主である。(幕末、大坂で適塾を開いた緒方洪庵(おがたこうあん)は足守藩士だった)
 足守の名は岡山市北区足守として残っている。総社市と隣り合う内陸の地だ。2万5千石ほどの所領があったようだ。
 幕府にどのような意図があったものか、寛政12年(1800)、所領の大半にあたる2万石余が陸奥国(現福島県)信夫・伊達郡25村に付け替えられた。その、あまりに遠い飛地所領を管理するため、足守藩はここ宮代村に瀬上(せのうえ)陣屋を設けた。(案内板より)
 左図は、その陣屋跡に立つカヤである(現在は斎藤さんという方が所有)。カヤの近くには代官村上久兵衛政重の墓も残る。
 カヤは単幹で立ち上がり、上空で太い大枝をいくつも広げている。なかなか力強い姿だ。
 推定樹齢が正しければ、カヤが芽生えたのは、ここに陣屋ができる前。江戸時代初期から今日まで、時代の変遷をつぶさに眺めて来たことになる。その間、社会制度や環境は大きく変わった。
 カヤに口がきけたなら、ヒトの営みについて感想を聞いてみたいものだ。
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