ページタイトル:明眼寺のイチョウ 当サイトのシンボル

画像:明眼寺のイチョウ(全景)

画像:明眼寺のイチョウ
名称 明眼寺のイチョウ (みょうげんじのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 25m(注1)
目通り幹囲 5.1m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 島根県飯石郡飯南町八神(はかみ)(注2)
 〃 3次メッシュコード 5232−55−25
 〃 緯度・経度 北緯35度06分34.6秒
           東経132度41分46.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2011年8月21日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注2)2005年1月1日、赤来町と合併して飯南町に。旧行政区は飯石郡頓原町





 このイチョウは、神戸川(かんどがわ)沿いに走る国道184号からよく見える。町立志々(しじ)小学校からは400mほど南。
 縦に細長い樹冠は、そう遠くない過去に大枝を全て落とす強剪定が行われたことを物語っている。これだけたくさん葉を付けていれば、樹勢が悪かろうはずがない。
 神戸川の蛇行カーブの内側、一段高いところ。山を背にして浄土真宗本願寺派慧日山明眼寺があり、その境内に立つイチョウである。
 境内の由緒碑によると、武蔵国の麻布山善福寺より西国伝道に来た僧朗清が、その巡錫の途次、宝徳2年(1450)3月28日、当地八神に立ち寄った。そして、既にあった天台宗東林坊を浄土真宗に改め、教化に努めた。これが寺の始まりだという。
 2世清順は石山本願寺合戦に参戦。5世龍雪は門主准如上人の眼病を治療。平癒することが出来たことから明眼寺の寺号を賜ったとか。
 ところで、開基朗清がそこから来たという麻布山善福寺とは、東京都港区元麻布にある善福寺のことではなかろうか。
 善福寺は、江戸末期から明治の初めまでアメリカ公使館が置かれた寺で、初代公使タウンゼント・ハリスも滞在したことで知られる。巨木ファンにとってみれば、国天然記念物の大イチョウがあることでも有名な寺である。
 だとすれば、このイチョウにも、善福寺のイチョウの子だという話があってもよさそうなところであった。しかし、残念ながら彼の大イチョウは雄株である。ギンナンは実らない。
 明眼寺の山門があるべき場所に、「為衆開法蔵 廣施功徳寶」と刻んだ石柱が立っている。「衆の為に(それとも、衆を為して?)法蔵を開き 広く功徳の宝を施す」とでも読むのだろうか。
 ここに寺を開いたときの意気込みが感じられるように思った。
 
ボタン:島根県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る