ページタイトル:仁王堂の大イチョウ 当サイトのシンボル

画像:仁王堂の大イチョウ(幹と並ぶ)_1


画像:仁王堂の大イチョウ(幹と並ぶ)_2
名称 仁王堂の大イチョウ
    (におうどうのおおいちょう)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 7.9m(注2)
推定樹齢 500〜600年(注3)
所在地の地名 鳥取県八頭郡八頭町西御門(注4)
 〃 3次メッシュコード 5334−02−72
 〃 緯度・経度 北緯35度23分49.2秒
           東経134度16分20.9秒
鳥取県指定天然記念物(1970年2月20日指定)
撮影年月日 2010年9月25日

注1)1986年11月に西御門部落が設置。ただし、天然記念物指定名称は「西御門(にしみかど)の大イチョウ」
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注3)上記案内板による
注4)2005年3月31日、八頭郡内の3町が合併して八頭町誕生。旧行政区は八頭郡郡家町





 国道29号沿い、西御門集落の東端近くに仁王堂があり、そこに鳥取県指定天然記念物の大イチョウが立っている。仁王堂は少し高台にあるため、国道からも、イチョウの姿がはっきり認められる。(脇見運転注意)
 天然記念物としての正式名は、集落の名をとって「西御門の大イチョウ」だが、ここに住む人にとって、大イチョウは仁王堂と強く結びついている。境内の手書きの案内板に掲げられた名も「仁王堂の大イチョウ」。私のささやかなサイトでは、そちらの名で呼ばせていただくことにした。
 このイチョウについて、次のような伝承がある(案内板より)。
 元弘3年(1333)、隠岐島を脱出した後醍醐天皇は、伯耆国船上山で挙兵して京都に向かう途中、当地の円入寺に逗留した。そのとき天皇に随従していた皇女(または皇子、または従臣の子ともいう)が天然痘に罹患、死んでしまった。その遺体を葬った場所に、墓標として植えたイチョウがこれだ、というのである。(そのため、このイチョウの葉は疱瘡除けの守り札とされたという)
 天皇が逗留したという円入寺は、天正年間(1573〜92)に、羽柴秀吉軍の兵火に焼かれて廃寺となった。その際、本尊の阿弥陀如来像を住職が、仁王像は一応なる荒法師が背負って難を免れたという。
 仁王堂は、その仁王像を安置している。
 堂内を覗き見ると、厨子に納められた観音菩薩立像の両脇侍は仁王(金剛力士)である。細部の作りまではよく見えないが、これなら背負えるサイズだ。
 伝承が正しければ、ここではイチョウが先で、仁王堂は後ということになろうか。
 
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