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画像:西条のカヤ(全景)

画像:西条のカヤ(果実)
 このようにかたまって結実する

画像:西条のカヤ
名称 西条のカヤ (にしじょうのかや)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 カヤ
樹高 19m(注2)
目通り幹囲 5.7m(注2)
推定樹齢 600年(注3)
所在地の地名 長野県長野市松代町西条
 
〃 3次メッシュコード 5438−61−56
 
〃 緯度・経度 北緯36度32分47秒
           東経138度12分08秒
長野市指定天然記念物(1967年11月1日指定)
撮影年月日 2003年8月1日

注1)長野市教育委員会が2001年3月31日に設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)現地の案内板による





 長野市に合併する前の松代町(まつしろまち)の名が全国に知れ渡ったのは、群発地震によってだった。年配の方のご記憶にあると思うが、1965年8月3日に始まった地震は、その後約2年間に数知れぬほど頻発した。最も多かった1966年4月17日には、有感・無感を合わせて、1日だけで6780回もの地震が観測された。
 また、松代町は、太平洋戦争の敗色が濃厚となった時期に、旧軍部がここに地下大本営を建設しようとしたことでも有名だ。爆撃に耐える頑強で広大な地下設備を築きつつあったが、完成前に終戦となり、ほぼ地下通路のみが残された。前述の群発地震の際に、気象庁が松代地震センターを設置し、地下通路跡にひずみ計を設置して、地震観測の成果を上げたことも、よく知られている。
 前置きが長くなった。こんなことを長々と書いたのも、それがこの木の膝元の地の出来事だからである。
 カヤの木は、地震観測所の建物から直線距離にして北西に500mほどの山裾に立っている。赤塚さんという方の所有物で、傍に立つには、お庭を通していただかなくてはならない。
 奥様に許可をお願いしたところ、快諾して下さっただけでなく、木のところまで案内して、いろいろ説明して下さった。
 先祖が植えたこの木は、通常のカヤと異なり、実がかたまって房のようになるため、「八房の榧」とも呼ばれる。たくさん実をつけ、昔は収穫して油を採ったこともあった。しかし、銀杏やクルミと同じく、果肉を捨て、さらに殻を割って内部を取り出さなくてはならぬため、今は利用していない。木自体も、以前に比べると、ずいぶん勢いがなくなってきた・・・等々。
 このカヤは、長野盆地では最大のカヤではないかと思う。老衰期に入ったことは否めないが、まだまだ元気でいてほしいものだ。
 
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