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名称 正覚寺のコウヤマキ (しょうがくじのこうやまき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 コウヤマキ
樹高 19m(注2)
目通り幹囲 4.0m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 群馬県沼田市鍛冶町(かじまち)
〃 3次メッシュコード 5439−70−63
〃 緯度・経度 北緯36度38分28.2秒
東経139度02分31.4秒
沼田市指定天然記念物(1976年3月30日指定)
撮影年月日 2025年6月12日
注1)2006年3月に沼田市教育委員会が設置。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)群馬県緑化推進委員会のウェブサイト「群馬県の巨樹古木」による
JR上越線沼田駅の東方、利根川左岸の河岸段丘上面の西端にあるのが鍛冶町である。
市役所から南に300mほど、鍛冶町の北西部に浄土宗法藏山大蓮院正覺寺がある。(これ以降は通例に倣い新字体で表記する)
正覚寺は、かつての沼田城主上田信之(信幸)の正室小松姫の逸話で知られる。
小松姫は徳川四天王の一人本多忠勝の娘。
関ヶ原の合戦を前に、真田家として東西どちらに与するべきかを下野国犬伏(現在の栃木県佐野市)で話し合った際、父昌幸が西軍につくことを主張したのに対し、東軍につくべきと考えた信之は父と袂を分かつ。その判断には小松姫の存在が大きかったのかも知れない。
家族談義を終えて上田への帰途、昌幸は「孫の顔を見たい」と沼田城を訪ねる。しかし、留守を守る小松姫は城門を開けなかった。昌幸は「さすが本多忠勝の娘」と笑って通り過ぎたと伝えられているらしい。
正覚寺にはこの話の続編が伝えられている。
昌幸を城内に入れなかった小松姫だが、その後で、正覚寺に孫を同行、舅をもてなしたというのである。
正覚寺に小松姫の墓がある。(ほかに、長野県上田市の芳泉寺、埼玉県鴻巣市の勝願寺にもある)
小松姫の話が長くなってしまった。
市指定文化財の山門を潜ると、まず見えるのがコウヤマキである。
凜と直立する姿が見事。小松姫の生き方を想像させるようにも思われる。
傷みがなくもないが、それをものともせず樹勢は素晴らしい。
コウヤマキの案内板には、植物種としてのコウヤマキの特性について記されているだけで、ここに立つ由来等について何も記されていない。
西軍についた昌幸は、一旦は死罪と決まったものの、信之や本多忠勝の嘆願により高野山流罪に減刑される。その後も信之は経済的な援助をするなど、袂を分かちはしたが、父との心の繋がりが切れることはなかったようだ。
その意味で、高野山に多くあるというコウヤマキをここに植えて父を偲んだということだと面白いのだが…。それでは話ができすぎか。 |
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