ページタイトル:最後塚のエドヒガン 当サイトのシンボルマーク

画像:最後塚のエドヒガン 名称 最後塚のエドヒガン (さいごづかのえどひがん)
名称の典拠 「名桜・古桜・一本桜
樹種 エドヒガン
樹高 不明
目通り幹囲 不明(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 長野県飯田市座光寺(欠野)
 〃 3次メッシュコード 5337−26−39
 〃 緯度・経度 北緯35度31分46.7秒
           東経137度51分37.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2022年4月6日

注1)近くまで辿り着けなかったので、目測することが出来なかった





 JR飯田線元善光寺(もとぜんこうじ)駅の南方500mほどに立つ桜。
 このあたり、国道153号沿いはすっかり市街化して、大きな商店や飲食店が建ち並ぶが、国道から少し離れると、まだ多くの耕地が残っている。
 桜が立つのもそんな一角。私有地に囲まれた小さな島のような塚の上。
 この塚は、武田氏と知久氏の戦さで死んだ戦死者を葬った塚だとの言い伝えがあるらしい。
 塚の根にあたる場所に案内板が見えた。しかし、私有地を経由せずにそこに至るルートはなさそうだ。仕方が無いので、桜は遠望するだけにし、案内板については遠くから撮影だけしておいて、家に帰って内容を読むこととした。(生憎標準ズームしか持ち合わせていなかったが)
 なんとか判読できたところでは、この小島は「最ミ塚古墳」(注2)で、石室の所在は不明だが、円筒埴輪片が出土しているらしい。実際は武田・知久時代よりもずっと古い塚のようだ。(「サイミヅカ」が「サイゴヅカ」に転じ、戦死者云々の話が生まれた?)
 桜は、武田時代よりも新しそうだ。
 遠目には2株が隣接して立つように見えるが、もとは1本だったとする話もあるらしい。
 今の桜は2世なのか、それとも、ほかに中央幹もあって全体で1株となっていたのか。もとは1本だったという話自体の真偽も不明だが、もしも全体で1株だった時代があったとするなら、かなりの大桜だったと思われる。

注2)飯田市公式サイトの遺跡一覧表では「最見塚古墳」とされている
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