ページタイトル:城山のクスノキ 当サイトのシンボル

画像:城山のクスノキ

画像:城山のクスノキ(幹と並ぶ)

画像:城山遊歩道で練習する高校生
 中央、オレンジ色の樹肌はバクチノキ

画像:城山のクスノキ(2)
名称 城山のクスノキ (しろやまのくすのき)
名称の典拠 なし
樹種 クスノキ
樹高 23mほか(注1)
目通り幹囲 12.9mほか(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 鹿児島県鹿児島市城山町
 〃 3次メッシュコード 4730−34−14
 〃 緯度・経度 北緯31度35分51秒
           東経130度33分06秒(注2)
国指定天然記念物(「城山」という名で、クスノキに限らず城山に生息する植物全体が天然記念物に指定された。また同時に国史跡にも指定された。指定日は1931年6月3日)
撮影年月日 2009年7月27日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)位置がかなり違っているかも知れない





 城山は鹿児島中央駅と鹿児島駅の中間。近くには鹿児島市役所もある。市街どまんなかといってもいい場所だ。
 最高点の標高は107m。かつては鶴ヶ峯という名だったが、中世、この地の豪族上山氏がここに城を築いたことから、城山と呼ばれるようになった。
 徳川の世になり、鹿児島に来た島津忠恒(=家久)は、城山の北東麓に鶴丸城を築造。ここを本拠とするようになる。平地にあって、天守閣を持たない鶴丸城は、戦闘用の城ではない。城山に残った上山城は、もしもの際、籠城するための城として残った。しかし、時代の行く末を見定めたものか、この上山城は一代で廃され、城山は立ち入り禁止のいわば聖域となった。
 江戸時代の間、人の手が入らなかったことが、今日の城山を作った。城山にはクスやシイの巨木が茂り、野生動植物の天国となった。
 シロヤマシダ、ヤマゴンニャク、サツマイナモリなど数種の植物の、日本における最初の発見地がここ城山だったという事実だけでも、いかに貴重な自然が残されている場所であるかがわかる。昭和49年(1974)に行われた学術調査では、シダ以上の高等植物だけで510種以上確認されたそうである(講談社「日本の天然記念物より)。昭和6年(1931)には、城山全体が天然記念物に指定された。(ここはまた、西南戦争最後の決戦地でもある。同時に史跡にも指定された)
 その後、戦災や山火事で樹林の一部が荒廃、市民がみだりに林内に入ったことも森林環境悪化につながったようだ(これも「日本の天然記念物」より)が、今は公園整備も終え、安定期に入ったように見える。
 しかし山中最大と思われるクスノキ(左上図)は、遊歩道脇にあるため、根元環境が大きく変わってしまった。ちょっと可哀想だ。(標記の幹囲データは、この状態で地上1.3m地点を測ったものだろう。そこは根にあたり、幹囲そのものはもっとずっと細い)
 現在、城山には、鹿児島市街及び桜島の展望台として、また森林浴を兼ねた散策の場として、多くの観光客、市民が訪れる。また、自動車の来ない幅の広い坂道は、高校生や中学生にとって、格好のトレーニング・コースでもあるようだ。
 時間があったので、遊歩道の全ルートを歩いてみた。あちらこちらに、巨木が遠望できた。そばに立ちたいのはやまやまだが、遊歩道以外は立入ることが出来ない。上記のような経緯を考えれば、それも致し方ないことだと思われる。
 
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