ページタイトル:菅原の大カヤ 当サイトのシンボル

画像:菅原の大カヤ_1

画像:菅原の大カヤ_2

画像:菅原の大カヤ(全景)
名称 菅原の大カヤ (すがわらのおおかや)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 カヤ
樹高 12m(注2)
目通り幹囲 7.1m(注2)
推定樹齢 伝承1500年(注2)
所在地の地名 大分県玖珠郡九重町菅原
 〃 3次メッシュコード 4931−61−12
 〃 緯度・経度 北緯33度10分45.4秒
           東経131度09分02.6秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年3月24日

注1)九重町教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による





 国道387号沿いの川底温泉の約1km南方から東に入る道があり、川を挟んで浄土真宗浄明寺と菅原天満宮がある。
 九重町が設置した案内板によれば、その昔、菅原道真が大宰権師(だざいごんのそち)に左遷される旅の途次、かつての学友であった観応を訪ねた。観応は、ここで天台宗安全寺(平凡社「大分県の地名」では白雲山安全堂)を開き、その住職をしていたのだった。あいにくの大雪も重なって、滞在は1ヶ月にも及んでしまった。
 その際、菅公は、近くにあったカヤの一の枝で自刻像を刻み、形見として観応に残した。そのカヤがこの榧の木で、その木像が現在の菅原天満宮の御神体だという。
 当地の天満宮はまた、赤兵子(あかべこ)天満宮とも言われる。これについては、次のような話も伝わっている。
 藤原氏の刺客が、道真を当地まで追ってきた。あわやというとき、老婆の機転で道真をかまどの下に隠し、赤兵子をかわかす様をして助けたというもので、天満宮境内の土をいただいて家の回りに撒くと、災難を免れることができるということである。
 天満宮は、安全寺から名を変えた浄明寺が天台宗であった時代には寺の境内にあったが、寛永10年(1633)、浄土真宗に改宗するにあたって現在地に遷座した。
 この大カヤは、直線距離にして、浄明寺と天満宮のほぼ中間に立っている。7.1mの目通りデータに期待しての訪問だったが、残念ながら、それほど太くはない。
 耕地の一角にぽつんと立っている。菅原天満宮の近くからもよく見えるし、カヤまでの道もつけられている。
 かなりの老木ではあるが、1500年の樹齢といわれると、眉に唾をつけたくなる。要はそれだけ地域に大切に思われてきたということなのだろう。
 
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