ページタイトル:砂川神社の水松 当サイトのシンボルマーク

画像:砂川神社の水松 名称 砂川神社の水松
    (すながわじんじゃのみずまつ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 イチイ
樹高 8m(注2)
目通り幹囲 4.6m(注2)
推定樹齢 2000年以上(注3)
所在地の地名 北海道砂川市東5条南4丁目
 〃 3次メッシュコード 6541−17−83
 〃 緯度・経度 北緯43度29分12.2秒
           東経141度54分40.9秒
天然記念物指定 なし(注3)
撮影年月日 2019年6月6日

注1)北海道の「記念保護樹木」に選ばれたことを示す案内板。北海道が設置(設置年月不詳)
注2)今田秀樹著「2018 北海道の巨樹・名木150選」による
注3)イチイの傍らに「史跡 老木水松」と記したステンレス製の標柱があるが、どこからも文化財指定は受けていない





 砂川市は札幌と旭川を結ぶ北海道中央部の大動脈沿いの市である。東は歌志内市、南は奈井江町。
 もともとこの辺りはアイヌ語で「オタ・ウシ・ナイ(砂浜・についている・川)」と呼ばれていたらしい。その意味をとったのが砂川市、音をとったのが歌志内(うたしない)市というわけである。(Wikipedia「砂川市」による)
 集落形成の発端は、道路開通と炭鉱の開坑だったらしい。明治23年(1890)に、人口11人の奈江村(砂川市の前身)が設置されたという。炭鉱の発展と鉄道の開通で人口が増え、4年後の同27年には2331人になったというから、まさに爆発的な増え方である。(同30年には歌志内村を分村)(市公式サイト中の「砂川の軌跡」による)
 北海道神社庁の神社紹介ウェブページによると、奈江村開村の翌年にはもう砂川神社が祀られている。創祀当時は三吉(みよし)神社と称したというから、開村当時の村民に太平山信仰の人がいたのかも知れない。しかし社殿造営に際し、住民から大神宮を氏神とする意見が出て、祭神を天照大神(あまてらすおおかみ)に変更したようだ。その後、奈江神社、さらに砂川神社と名前が変わった。
 大正4年(1915)には村社に列せられ、それが嬉しかったのか、氏子さんたちは、一の沢に自生していた大イチイを移植することを決めた。移植されたのはその翌年。橇(そり)に乗せ、延べ3千5百人が12日間かけて、ここまで運んだという。(案内板より)
 現在のイチイは、殆どの部分が枯死し、一部のみが生きている。
 枯死してしまったことの直接原因が移植にあったのかどうかは不明だが、頂部が切られているのは移植するための処置と思われる。
 幸い、生きている部分は元気そうである。
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