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画像:上野原の大ケヤキ

画像:上野原の大ケヤキ
名称 上野原の大ケヤキ
    (うえのはらのおおけやき)
名称の典拠 「日本の天然記念物」(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 28m(注2)
目通り幹囲 8.6m(注2)
推定樹齢 800年以上(注3)
所在地の地名 山梨県上野原市上野原(注4)
 
〃 3次メッシュコード 5339−30−59
 
〃 緯度・経度 北緯35度37分46.9秒
           東経139度06分46.5秒
国指定天然記念物(1944年11月13日指定)
撮影年月日 2004年8月25日

注1)1995年3月に講談社から刊行。現地の樹名碑(石造)では「上野原の大けやき」とひらがな
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)上野原町公式ホームページによる
注4)2005年2月13日、上野原市誕生。旧行政区は北都留郡上野原町





 旧上野原町の中心部、上野原小学校グラウンド南東端に立っている。周囲はミニ公園のように整備され、大ケヤキにも十分な面積が与えられている。
 しかし、上記「日本の天然記念物」から孫引きすると、もとからこんな環境だった訳ではなさそうだ。
 ここはもと御嶽神社の境内だった。ケヤキは多分、御神木のように扱われていたのだろう。明治8年(1875)、町に学校を建設するにあたり、ここに白羽の矢が立った。神社は移され、跡地は小学校となった。ケヤキは傾斜地に立っていたのだが、広い水平面を確保するため、下部を埋められてしまった。
 今から考えれば、切り倒さなかったのは英断であった。ケヤキは、後代の子供たちへのすばらしい贈り物となったわけである。
 倒されはしなかったが、根元は厚い土で覆われた。資料によって数値が異なっているが、盛り土の高さは3mとも5mともいう。
 それでもこの太さである。当時はすばらしい巨樹だったと思われる。
 それから約130年。逞しい下半身を隠す大ケヤキは、幹に大きな空洞ができ、枝には支柱が必要になってしまった。昭和5年(1930)には既に空洞があったというから、埋め立てが衰勢を早めたのかも知れない。
 主幹も途中で失ってしまったが、まだ樹勢は悪くない。元気な子供たちと一緒に過ごしているのがいいのかも知れない。
 
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