ページタイトル:和光院の大椎 サイトのシンボル

画像:和光院の大椎(全景)


画像:和光院の大椎(幹と並ぶ)
名称 和光院の大椎 (わこういんのおおしい)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スダジイ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 6.2m(注2)
推定樹齢 500年(注3)
所在地の地名 茨城県水戸市田島町(注4)
 
〃 3次メッシュコード 5440−42−79
 
〃 緯度・経度 北緯36度23分45.7秒
           東経140度22分06.9秒
内原町指定天然記念物(1994年2月1日指定)
撮影年月日 2008年5月18日

注1)1995年1月31日に内原町教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による
注3)上記案内板による
注4)2005年2月1日、水戸市に合併。旧行政区は東茨城郡内原町





 スダジイのある和光院は、正式名を伝燈山和光院明楽寺といい、真言宗智山派のお寺である。
 境内の案内板によれば、明応7年(1498)、即也坊宥怡が鹿島郡神生村(かのうむら、現水戸市)に開基。2世宥胤のときに、当時の水戸城主江戸但馬守通泰の勧請により城の近くに移され、祈願寺とされた。
 天正18年(1590)、江戸氏が佐竹氏と戦って敗れたのち、和光院は現在地に移った。
 和光院が移ってくる前は、この場所に長松寺という真言道場があったらしい。和光院がそれを受け継いだもののようだ。
 その後も、決して順風のみではなかったようだ。明治時代には、無住となって荒廃したこともあったらしい。
 しかし、現在の寺運は、なかなか盛んな様子である。
 本堂は目下再建中。水戸市文化財の紙本著色不動明王像(俗に「血不動」とも呼ばれる)を安置する不動堂は、近年建て直されたばかりのように見える。
 伝承樹齢からみると、スダジイは、和光院が移ってくる前からここに立っていたことになる。
 山門を潜った先の参道脇、と言いたいところだが、訪問時の山門は倒壊の危険があるということで通行不可。別の場所から切られた道を通っての訪問だった。(この分なら、山門修理もそう遠くないことだろうが)
 主幹がすっきり立ち上がって、勢いも良い。まだまだ大きくなりそうだ。
 あと100年も経てば、周囲に名を轟かせる名木になっているかも知れない。

※いつも貴重な情報を寄せて下さる埼玉県のNさんから、このシイが樹冠をほぼ全て失ってしまったと教えていただいた(グーグルアースでも確認できた)。シイはまだ死んではいないようだが、いったい何があったのだろうか。(2020/10/01追記)
 
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