ページタイトル:銭屋のハゼの木 当サイトのシンボル

画像:銭屋のハゼの木 名称 銭屋のハゼの木 (ぜにやのはぜのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ハゼノキ
樹高 12m(注2)
目通り幹囲 4.8m(注3)
推定樹齢 350年以上(注2)
所在地の地名 山口県美祢市美東町絵堂(注4)
 〃 3次メッシュコード 5131−32−38
 〃 緯度・経度 北緯34度17分08.7秒
           東経131度21分19.9秒
美祢市指定天然記念物(1981年3月20日指定)
撮影年月日 2017年3月30日

注1)2014年度に美祢市教育委員会が設置
注2)上記案内板による
注3)同上。これは「根本周囲」とされているが、その上で一度細くなったのち、地上1.3mの高さでは再び太くなっている。この値とそう変わらないように思う
注4)2008年3月21日、美祢市に合併。旧行政区は美祢郡美東町





 鍔市(つばいち)にある赤郷小学校の東を通って杉ヶ峠(すぎがたわ)を越え、国道490号近くの銭屋(ぜにや)に至る道がある。左図のハゼノキは、その道路脇に立つ。
 かつてこの辺りに、長州藩の銭座があった。銭屋の地名はその名残である。
 案内板によると、寛永13年(1636)、徳川幕府は新しく貨幣制度を制定して寛永通宝の鋳造を始めたが、製造が間に合わなかったことと、全国での流通促進のため、翌年には全国8ヶ所に製造を命じた。長州藩の銭座もその一つ。
 そのため、一時期、銭屋は大いに栄え、銭屋千軒とまで言われたそうだが、一転して寛永17年(1640)には鋳造禁止となる。
 しかし、その後も床下や井戸などに隠れて鋳造を続けた者がいて発覚。長州藩吏によって村は跡形もなく焼き払われたとの伝承があるらしい。
 このハゼノキは、火災からの唯一の生き残りだとも伝えられているそうである。
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