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画像:浄源塚の一本杉(幹と並ぶ)

画像:浄源塚の一本杉(遠景)

画像:浄源塚の一本杉(全景)
名称 浄源塚の一本杉
   (じょうげんづかのいっぽんすぎ)
名称の典拠 「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」(注1)
樹種 スギ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 5.9m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 新潟県南魚沼市雷土新田(注3)
 
〃 3次メッシュコード 5538−67−06
 
〃 緯度・経度 北緯37度10分28.7秒
           東経138度57分04.5秒
天然記念物指定等 なし
撮影年月日 2003年5月5日(左写真)
        2010年11月7日

注1)旧環境庁が1991年に刊行。なお同書には「浄塚一本杉」と記載され、「の」がないが、野島出版「ふるさとの伝説と奇談」等のように「の」を入れることが多いようなので、そちらに従った。(は単なる誤植だろう)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)平成16年(2004)11月1日、大和町・六日町の2町が合併して南魚沼市誕生。旧行政区は南魚沼郡大和町





 関越自動車道が県道573号を跨ぐ地点の西100mほどの位置に浄源塚(平凡社「新潟県の地名」によれば源塚と記すこともあるという)がある。
 このあたりは八色原(やいろがはら)と呼ばれ、越後駒ヶ岳に発する水無川(みずなしがわ)の扇状地にあたる。厚い砂礫層の上に表土が薄く積もるのみで、森林・草地・裸地などがさまざまな色合いに見えたことから名付けられたのだろう。今でこそ一面の水田だが、近年まで未開の地だった。「新編会津風土記」(このあたりは江戸時代後期を通じて会津藩預所だった)には、「瘠薄の地にて沙石多く、田圃を墾発し難く曠平の芝原なり」と記されている。
 水無川の名でもわかるように、ここでは水の確保が難しい。
 伝承では、浄源という僧が井戸を掘った。しかし水が出ず、自ら生き埋めとなって水の出るのを祈り、ようやく水を得ることができたという。ここには地下水脈が浅そうな予感をさせる植物が繁っていたのだろうか。
 今は周囲と同じ風景。低い塚の上に1本の大杉が立つのみ。近くには井戸跡もある。
 大杉は典型的なウラスギ(アシウスギ)の特徴を示していて、筋骨たくましい。
 高速道路で東からの視界が妨げられてしまった他は、一面の水田に囲まれて見通しが利く。1km四方、どこからも見えると言っても過言ではない。
 当地のランドマークである。
 
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