ページタイトル:蛎崎の傘松 当サイトのシンボル

画像:蛎崎の傘松


画像:次代を担ってくれそうなマツ
 近くには次世代を担う大松も
名称 蛎崎の傘松 (かきざきのからかさまつ)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 クロマツ
樹高 28m(注2) 現在はもっと低い
目通り幹囲 4.8m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 青森県むつ市川内町蛎崎半右エ門沢(注3)
 〃 3次メッシュコード 6140−57−91
 〃 緯度・経度 北緯41度09分53秒
           東経140度53分29秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2009年8月19日

注1)このマツは「傘松」の名で知られるが、同じ名が全国各地に見られるため、地名を冠して呼ばせてもらった
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)2005年3月14日、むつ市に編入。旧行政区は下北郡川内町





 「傘松」の名は、キノコの傘のような、大きく美しい樹冠を持つマツに付けられる(私は一種の尊称だと思っている)。訪問時現在、国土地理院の2万5千分の一地形図(Web版)に、その名が掲載されているくらいだから、この地方では、よく知られる名松だったと想像する。
 ここは、松前藩主の祖、蛎崎氏の居城錦帯城跡に近い。寛政5年5月1日(現行の太陽暦では1793年6月4日)には、東北各地の紀行文を残した菅江真澄も城跡を訪ねている。当然、この傘松も目に入ったことと思われる。
 近くの石碑によれば、南北朝の頃、この地に南部氏の目代武田修理大夫信義の居館があった。宝徳3年(1451)、それから5代目にあたる五郎信純(蛎崎蔵人)が館を拡張、錦帯城と称したという。
 慕われていた殿様だったのだろうか。陸奥湾に突き出た岬は「殿崎」と名付けられている。
 明治に入り、錦帯城跡には蛎崎小学校が開校。日本が大きく変わりつつある時代だった。その小学校も、平成19年度(2007年度)を最後に、133年の歴史を閉じた。
 錦帯城の築城当時まで遡るのは無理だろうが、傘松は、これら時の流れをじっと見てきた。
 しかし、近年、根元の腐朽が進み、横からの強風に耐えられそうになくなってきた。危険回避のため、2009年に上部が伐採され、背丈が約半分になったようだ。
 伐採直前の写真を見ると、頂部には枯れ枝も少なく、美しい傘がある。残念な気がしないでもない。

※グーグルのストリートビュー(2013年5月の映像)で確認すると、まだ左図の形を保ってはいるものの、立ち枯れてしまったように見える。(2016.12.06追記)
 
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