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画像:皇壇スギ(全景)


画像:皇壇スギ


画像:皇壇スギ(枝の下方に出来た瘤)

枝には、このような気根状突起が多数
名称 皇壇スギ (こうだんすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 27m(注2)
目通り幹囲 5.7m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 山形県鶴岡市大網字岩台(注3)
 
〃 3次メッシュコード 5739−77−02
 
〃 緯度・経度 北緯38度35分30秒
           東経139度54分30秒(注4)
山形県指定天然記念物(1955年8月1日指定)
撮影年月日 2006年9月23日

注1)朝日村教育委員会が設置(設置年月不詳)。案内板には「おうだん」とルビが振られていたが、「こうだん」と読むのが正しい) なお、天然記念物指定名称は「大日坊の皇壇スギ」(※)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)2005年10月1日、鶴岡市に合併。旧行政区は東田川郡朝日村
注4)位置の精度にあまり自信なし。県道351号からの分岐点(「皇檀(壇?)の杉」案内板あり)の位置は北緯38度35分29.9秒、東経139度54分22.2秒





 大杉は大日坊から少し離れた山中にあるのだが、ここも大日坊の境内にあたる。
 大日坊は、大同2年(807)弘法大師空海の開山、渡海の開基と伝える古刹。今は湯殿山総本寺と称している。
 ここは出羽三山八方七口の一つ大網口にあたり、古くから湯殿山表口別当として栄えた。三山詣ででは、大日坊に宿泊し、衆徒の先達で湯殿山に参詣するのが通例であった。湯殿山は女人禁制を敷いていたため、ここは女人の参拝所でもあった。
 藩主の崇敬も厚かった。また春日局が施主となり、徳川家光の武運長久を祈願して堂宇を建立、大日如来を安置したことも棟札の記録に残っている(以上、平凡社「山形県の地名」を参照)
 境内の広さからみても、繁栄を誇っていたことが想像されるが、明治の神仏分離で湯殿山は神社とされ、仏寺の大日坊が祭祀権を失ってからは、かつての面影は失われた。
 「皇壇スギ」の名は、スギの立つ場所が景行天皇の子、御諸別(みもろわけ)皇子の墓とされている故である。
 ウラスギ(アシウスギ)の仲間らしく、縦横に伸びた大枝が交錯して、混沌とした枝振りが面白い。
 お釈迦様が誕生したとき、7歩あるいて、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったという。花祭りの愛らしい姿とは似ても似つかぬが、見方によっては、皇壇スギの枝振りも、そんな姿に見えなくもない。

※ 「皇壇」の読みについて。このページの初版では案内板に従って「おうだん」と読んでいたが、鶴岡市教委の担当者から、「こうだん」が正しいので訂正してほしいとの要望があった。以来、そのように読んでいるのだが、県教育庁が作成している「山形の宝」には「おうだん」の読みが示してある。私にはどちらが正しいかを判断する能力も資格もないが、一応、ご参考までに。(2014年追記)
 
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