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画像:廻館のケヤキ(幹と並ぶ)

画像:廻館のケヤキ
名称 廻館のケヤキ (まわたてのけやき)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 24m(注2)
目通り幹囲 6.1m(注2)
推定樹齢 600年(注3)
所在地の地名 山形県東田川郡庄内町廻館(注4)
 
〃 3次メッシュコード 5839−17−74
 
〃 緯度・経度 北緯38度49分02.5秒
           東経139度55分41.2秒
余目町指定天然記念物(注4)
撮影年月日 2005年8月25日

注1)設置者名が記されていないが、多分、余目町教育委員会が設置したと思われる。国土交通省酒田工事事務所が設置した案内板では「廻館の大欅」
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)1990年7月に廻館名木保存会が設置した石造の案内板による
注4)2005年7月1日、東田川郡内の2町が合併して庄内町誕生。旧行政区は東田川郡余目町





 廻館集落の南端、国道47号沿いに立っている。
 ここにはもと一里塚があったらしい。一里塚には、エノキやケヤキなど、目印になる木が植えられることがしばしばある。このケヤキもそうだと思っていたが、石造案内板は、1600年頃には既に相当な大木だったと記している。
 多くの著書に東北各地の巨木の見聞を記した菅江真澄は、天明4年(1784)に当地を通った。そして「齶田濃刈寝」に「古杉(古関の誤りか?)邑、まはたで(廻館)村に入ぬ。此里のうしろの沼を古川といひて、いにしへ最上川こゝにながれしとて人のおしへぬ」と記している(平凡社「山形県の地名」から孫引き)が、ケヤキに関しては触れていない。真澄が見落としてしまったのだろうか。
 最上川旧流路にあたるこのあたりは、以前は低湿地だったと思われる。集落は16世紀頃に開発されたようだが、その頃、最上氏の家臣相馬氏が、ここに砦を築いたという。廻館の名はそれに由来するということである。
 
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